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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  7-後.「いのちの電話」後編 Back Number 保存庫  

 

 

 

 

 

              

20. 無言電話

 

 

 

 

9月を過ぎたある夕刻のこと、マドンナは、沢田があまりも鳥清に来ないから、不審に思いつつ、心の一方では気持ちをときめかし、暫く一緒に暮らした思い出の場所である、沢田の寮を訪れる。そして、合い鍵でドアを開けた彼女は、愕然とする。入り口から正面の窓のそばに、自分が残していった荷物だけが、唯一、寂しげに残っているのを見つけるのである。あろうことか、そこは、既にヤドカリが出てしまった後の、もぬけの殻になっているではないか。こうして、マドンナは、沢田の単身赴任が終わったことを悟る。しかし、2週間とはいえ、一緒に肌を合わせ男から、自分には一言の挨拶もない。寂しさと共に、激しやすい彼女は逆上する。そして、この日から、沢田に対する反撃が開始されたのだ。これは、彼女の独占欲から出発したことで、沢田への憎しみからでは決してなかったのだが・・・・。

 

 

 

 

まず、当然のことのように、恐怖の電話が夕刻になると、会社に入ってくる。鳥清に来て欲しいから、また顔を見たからか、毎日のように電話が入る。だから、鳥清に行かないと、会社中に知れ渡る。安土までの通勤時間は、片道1時間半は掛かる。寄らずに早く帰りたいのがヤマヤマだが、そうもいかない。沢田は、前の様に殆ど毎日、鳥清に通わなければならない。すると、女房気取りの彼女は、沢田に対して、今や、公然とベタベタしてくる。マスターさえイヤな顔をしている。裏切った沢田を、もう一度取り返そうと思っているのか。或いは、彼女自身の精神のバランスを保つ為なのか。

 

 

 

 

次いで、鳥清で終了時まで付き合わされた沢田は、今夜はマドンナの行きつけのスナックにまで、同行を強要される。夜も1時を過ぎており、安土に帰れなくなった沢田は、マドンナから、彼女の行きつけである堀川五条のホテルに、タクシーを拾って先に宿泊しておくように指示される。安土の優子には、ホテルから宿泊理由を電話する。マドンナが、森田の車で後から押し掛けるつもりだと、気付いた沢田は、ホテルの部屋からフロントに電話する。そして、宿泊の部屋番号だけは絶対に言うなと厳命する。案の定、フロントで、教えろ教えないで口論になっているマドンナの逆上した声が部屋にまで、キンキンと届いてくる。沢田は、耳を塞いで、電気を消した部屋の隅で、小さくなっているしかないのだ。

 

 

 

 

 

沢田は、自分がまるでフライパンで炒られている猫の姿の様に思えてくる。下から火で焙られて、踊り回っている猫の姿だ。彼女に引きずり回されているが、どうしてもフライパンからは外に出られない。金の問題になったり、会社に通告されたりしたら困るからなのではなく、彼女の危うい神経がガラス細工の様に壊れることを、心から恐れていたからに他ならない。頭を抱えていても、ひたすら彼女の言うままに、彼女の気に入るままに動くことしか、当面の方法はないのだから。ただ、ただ嵐の過ぎ去るのを待つしかないのだ。彼女が自らの心を傷つけたり、逆上したりせずに、穏便に身を引いて呉れないだろうか。さようならと、明るく別れの挨拶ができないだろうか。この異常な生活から抜け出す方法はないだろうか。沢田は仕事中も、この事ばかりを考えている。一緒になるのは簡単だが、一途になった女性と別れることが、こんなにも大変なことだとは、初めて沢田も体験する。

 

 

 

 

正直に言って、この時のマドンナの様子は、普通ではなかった。それほど、沢田を独占する気持ちに支配されていたのである。少しの間とはいえ、一緒に床を過ごした男に心が奪われていたのか。また、自分がどうにかなりそうで、崩れるかも知れないと言う自分が怖かったからだろうか。だからといって、沢田には、優子と別れ、平穏な安土での生活を捨ててまでして、マドンナと一緒になる勇気はなかった。マドンナの中に内在する、破壊的な感情を見抜いており、彼女に大変危険なものも感じていたからに他ならない。何よりも、彼自身が、自分の疲弊する神経の安息を求めていたからだ。

 

 

 

 

 

 それは、突然にやってきた。沢田が安土の新居に帰宅していた、ある日の夜のこと、無言電話から始まる。

「・・・・・・・・」

「もしもし、沢田ですが。どちら様でしょうか。もしもし」

「・・・・・・・・、・・・・・・。・・・・・」

「おかしいわねえ。ねえ、お宅様は、どちら様でしょうか。こちらは、沢田ですが」

電話は、沢田という声を聞いて切れる。

「変だわねえ、息づかいだけで、何も言わないわ。あれは、絶対に女だわ。あなた、何か心当たりがあるんじゃない」

「なんのことだよ。僕は知らないよ。無言電話のことなど、僕にどんな関係があるというのさ。単なるいたずら電話じゃないの」

優子が得意料理と言っている夕食料理ではあるが、まあまあの味のロール・キャベツを食べながら、沢田は考える。

沢田は、優子の言うとおり、電話の主に感づいていた。それは、マドンナからの電話だと確信していた。これは、本当の意味での恐怖の電話だ。優子も感づいている。沢田には、被害妄想からでなく、こうとしか受け止められない。髪の毛が逆立つ思いだ。

 

 

 

 

「おかしいわねえ、戸塚にいるときも、2回ほどあったのよ、無言電話が。その時の女と絶対に同じだわ。息づかいと直感で、私には分かるの。あなた、どこかの悪い女と付き合ったりはしていないでしようね。ところで、単身赴任の時に使っていた布団に、血のような変なシミも付いていたわよ。知っているのでしょ。それから、先日の堀川五条の、ホテルとかの外泊の時も、常務さんと一緒に飲んでいて、帰れなくなったとか言っていたけど、ホントなのかなあ。絶対に怪しいわ」

「それからさあ、ホントのことを言うけれども。そのホテルに泊まったとかいう夜の3時頃にもね、あいつから電話があったのよ。その時は、酔っぱらって沢田を出してよ、とか言っていたわ。確か名前は、吉田とか言っていたわ。その時の女と、今のは、絶対に一緒だわ。あなた知っているのでしょ。私は分かっているから、もうこれ以上は言わないけれど、家庭を巻き込むのだけは止めてね。お願いだから」

 

 

 

 

 

『俺は、痛いところを突かれている。慎重に考えて返答しなければならない。優子に、どんなことがあっても話せないものは、話せないのだ、死んであの世にまで、握ったままに持っていくべきものが男にはあるのだ。平然として答えなければならない』

彼は、自分に言い聞かせる。

『電話番号は、憲さんがマドンナに教えたに違いない。だから、戸塚と安土の両方を知っているのだろう。しかも、あの日も夜も、電話があったのだと優子は言っている。止めて呉れよ』

頭を整理して、とつとつと言う。

 

 

 

 

 

「ああ、茶色のシミだろ、コーヒーを一度こぼしたのさ。その時のシミだと思うよ。それと、先日の外泊の件はさあ、前に、ホテルからの電話で言った通りに、常務と一緒だったのだよ。常務さんは、歌は下手なんだけど、カラオケが大好き人間で、歌い出したら止まらないのだよ。ホントだよ。そんなことで嘘を付く訳が無いじゃないか。第一、常務さんに対して失礼だろうが。それから、吉田とか言う人は、僕は全く心当たりがないよ。僕の知らない人だよ。単なる間違い電話じゃないの」

 

 

 

 

 

平然として、真っ赤な嘘を付く。シミは、あの時のものだ。鮮烈に脳裏に刻んでいるから忘れる訳がない。これだけは、一生涯を通じて、絶対に隠し通すしかない。また一方、沢田は、マドンナに引きずり回されていたから、かなりの額の金を散財していた。だから、金のことは妻には言えずに、実は、実家の母親に事情を言って、用立てして貰っていたのである。

 

 

 

 

 

この日を境にして、マドンナからの、会社の呼び出し電話と自宅への無言電話は、不思議なことになくなる。そして、あろうことか、マドンナの姿も、鳥清から幻のように消えてしまったていたのである。久し振りに、憲さん達と一緒に鳥清に入った沢田は、よそよそしいマスターの態度と共に、そのことを発見する。沢田は、あの日自宅に掛かってきた無言電話が、もしかして彼女からの沢田に対する、最後の別れの挨拶ではなかったのだろうかとも思ったが、もう時既に遅しである。到底出来ないことではあるが、あのとき自分が電話に出て、せめてもの別れの言葉を、そして優しい言葉を掛けてあげれば良かったのかも知れないと、感慨に浸る。

 

 

 

 

 

唯一の存在証明かのように、沢田の敷布団の上に残っていた茶色のシミは、優子がその後スグに、敷布そのものを焼却処分したから、もうこの世には存在しない。記憶だけが、沢田の脳裏に残っているだけである。思えば、マドンナからの、何回もの、あの恐怖の電話が、沢田自身の脳髄を覚醒させる電話であったのではないだろうか、また、体を張って与えてくれた彼女の魂が、沢田を救って呉れたのではないだろうかと、最近になって沢田は回想している。マドンナの、幻のようなその存在と共に、今や、彼女の存在そのものの記憶すら、沢田の脳裏からも薄れかけようとしている。

 

 

 

 

マドンナの行方は、その後は誰も知らない。人伝に聞いた話では、タクシー運転手の森田と一緒になって、卓也と3人で、福岡で幸せに暮らしているという人もいれば、済生会病院の精神科に再入院したと言う人もいる。はたまた、その行方すら知らないと言う人もいる。沢田には、2週間ばかりではあったが、お互いの体と心を温め合った、マドンナという幻の女性が、実は、あの世から降臨された観世音菩薩様であったのではないだろうか。そして、その観音様が、マドンナに姿を変えて現世に現れてこられ、疲弊していた沢田の生命に、命の息吹を注がれたのではないだろうかと。あれから21年が経った今にして、沢田は、目頭を潤ませて、こう想うのである。

 

 

 

 

その後の沢田は、知らず知らずの間に、神経症を乗り越えて、自力で正気に戻っている。そんな自分にも自信が持てるようになっている。そのことを自分自身でも気が付いているという。

辛い哀しい想い出と共に、修羅場を乗り越えて、一段と逞しくなった沢田啓介の姿が、そこにはあった。マドンナは幻であったかも知れないが、あの電話は、マドンナと沢田を繋ぐ、まさしく「いのちの電話」であったのではないかと、彼は回想しているという。

 

 おん あろりきゃそわか

 

    南無観世音大菩薩 

        

              合掌

 

 

 

 

 

          

 

 

 

 

 長編シリーズが完結致しました。長い間に渡って、お読みいただきまして誠にありがとう御座いました。尚、掲載の終わったものは、全部を順に保存庫に収納しております。保存庫の前編下の[1]〜[10]から、続いて後編の保存庫下の[1]〜[10]へと順番に開いて、続けてお読み下さい。

 

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