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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  7.「いのちの電話」前編  Back Number 保存庫

この物語は、過去から逃げた男の、重い、重い単身赴任時代にフォーカスして語られている。一体、彼に何があったのか・・・。

 

 

 

             

 

いのちの電話

  (前編)                             

 

      

 

 

 

 

 

1.過去から逃げた男

 

 

 

 

 東京の銀座で働いていた沢田啓介が、どうしてこんな処にいるのかと、沢田自身も誠に不可解に思っている。夢を見ているが如きの、命運に翻弄された、ここ3年間の沢田の生き様である。彼は、横浜の戸塚区に戸建住宅を1軒、自宅として持っている。しかし、今は、彼の妻と2人の小学生の男の子をそこに残したまま、京都のここにいる。1983年の4月から、沢田は決意して、単身赴任生活を始めた。彼が、39歳のときのことだ。

 

 

 

京都に来る前の沢田は、ロイド出版社に在籍していた。ロイド社では、トントン拍子に出世していたが、2番目の部署に異動したときから彼の人生は暗転を始める。そう、今から丁度3年前のことである。着任早々、沢田は、ロイド社の社長から、その部署の上司に当たる部長へのスパイ活動を、思いがけず命じられる。沢田は、地道な調査によって、遂にシッポを掴んだかに見えたが、逆に上司が仕掛けた、謀略の「落とし穴」に嵌ってミスを犯し、その為に降格となり失脚する。

 

 

 

この降格問題で、沢田は自らの前途に希望を見失い、自信を喪失し自分を責めて、精神を痛める。同社での前途を悲観して、ならば職場を替えて一から出直そうと、転職を決意する。生活のこととか、家族のこと、子供の学校のこと等を全く何も考えずに、また家族の者の意見や説得にも、耳を貸さずに、冬季のボーナスが貰える直前の1982年の1130日に、無謀にも突如退職願いを提出して、所謂自己都合でロイド社を依願退職してしまったのだ。

 

 

 

当然のことだが、妻からの罵詈雑言は日を追って激しくなる。夜も眠れない日々が続く。そして、沢田は、この頃から、精神の均衡を失い始める。自分自身も、自分が自分でないように感じていたが、加えて彼の父親は神経症で病院に入院したままとなっている。自分も同じ道を歩むのかもしれないと、自己の精神に対しても自信が持てない。逆に恐怖心さえ抱くようになる。そして、とうとう精神に異常を来した。所謂、鬱病を罹病したのである。病院には行かなかったが、彼には分かっていた。いや、それ以前の3年前から罹病していたのかもしれない。ストレスの多い職場だったからだ。

 

 

 

 

スグに見つかると思っていた仕事も、あろうことか全く見つからない。出した履歴書は72通にも達している。蓄えも底が見え始めている。連日のように、ヒステリックな妻の言葉が胸に刺さる。底の見えない寂しさと絶望感、食欲不振と不眠の症状、何もかも無力感の精神状態、そして強い自己批判の観念に支配されて、とうとう、沢田は、真っ直ぐに歩くことさえも出来ない程に、憔悴し切っていたのである。時折、自殺という言葉が頭をよぎってくる。従って、外的な活動への興味を喪失しているから、職安に行って失業保険を貰うことなど、全くといっていい程に、念頭にはなかった。寧ろ、自分の家から外に出ることをすら、極力避けていた。鬱病下の異常心理と行動である。

 

 

 

 

辛うじて保っていた自意識の中で、ここから少しでも抜け出したいと、必死にすがりついて、戸塚の自宅で沢田が、ずっと、していたことがある。それは、「般若心経」の写経と、本で教えられた、次の言葉を口で唱えることである。

「着眼高ければ、即ち理を見て毅せず」

「真理の大道は無門なり」

この2つの言葉だ。これを、繰り返し口で唱えることである。一種の、この呪文を唱え、自分自身に言い聞かせることによって、沢田は、辛うじて打ち震える精神の均衡を、やっとのことで保っていたのである。

 

 

 

このような状態で、よくぞ就職が決まったと思うが、ロイド社の他部署の知人から紹介されて、この京都の会社の入社試験を受け、見事に合格した。命運である。そうなるべくしてそうなったのかも知れない。しかし、沢田の心の中は、依然として晴れず、朦朧としたままである。自分が一番に自分のことを良く分かっている。薬局で買ったSSRI(セロトニン分泌強化剤)と、この呪文がないと不安で仕方がない。電車に乗ったときが、一番ひどくなる。耳鳴りがして膝に震えが出てくる。大声を出しそうになる。呪文を唱え辛うじて、出てきそうになる子供を、握り拳で自分の腹をトントンと叩いて、必死になって押さえ込んでいた。

 

 

 

そして、いよいよ暫くの単身赴任となる。この物語は、沢田以外に誰も知らない、沢田自身の空白の半年間である、19834月から9月までの6カ月間という、過去から逃げた男の、重い、重い単身赴任時代だけにフォーカスして、語られている。

 

 

 

そして今、沢田は、京都の右京区にある東邦電機という会社に勤め、この41日から新しい土地で、新しい仕事を始めている。ロイド社を退職してから、丁度、4カ月が経過していた。無給与下での、ローンの支払いと生活費で、沢田の妻の蓄えはゼロになっていた。中田を京都に送り出して、沢田と家族が当面生活しなければならない当座の金の20万円は、彼女が自分の実家から借りて、工面したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

   400字詰換算で118枚の長編シリーズですから、日曜日と水曜日の、週2回掲載とします。この場所で続けてお読み下さい。尚、掲載の終わったものから順に、保存庫に収納されます。下の[1]〜[10]を順番に開いて、お読み下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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