3. ロイド本社・編集部の場
営業マンの売ってきた広告企画の記事を編集するのが、彼等、中田達部員の任務である。担当媒体も多岐に渡り、時期によって媒体の種類も異なり、顧客も全国に散らばり、それは、それは大変に緊張と労苦を強いられる、ものすごい量の業務だ。
1日が、ほぼ真夜中近くにならないと終わらないほどに、毎日が多忙。銀座にあるビルのフロアーから、室内の光が夜の外に漏れ出ないようにと、シャッターカーテンを閉めて仕事をするのさえ、彼等の日常である。そんな中、アルバイターの金村洋子も社員と同じように、夜遅くまで一緒になって働いてくれた。社員45名、アルバイター23名が、編集部員の数。仕事で遅くなったときは、その労を慰める為にと、新橋駅近くの安い飲み屋へ一緒に繰りだし、上司の奢りで飲食するのが習慣となっていた。
長時間勤務で、しかも女性にも深夜労働をさせていたことで労使問題が起こるのを、中田達、管理職のポケットマネーで防いでいたのだ。ロイド社にあって、アルバイターからの造反がおこれば、致命的なダメージを受けるという危うさの上に会社経営は成り立っていた。だから、特に女子のアルバイターの動向には、彼等は注意していた。バカな話しだが、中田の小遣い10万円の大半は、これに費やされていたのだ。
もっとも、深夜近くまで残業すれば、彼女たちの給与は、基本給のほぼ倍額となり、キツイ大変な仕事だが、社会一般の女子従業員の給与額の倍は貰うことになるので、給与の額は大変に多くなる。彼女達はそれだけを満足にして、働いていた。また、上司も部下もアルバイターも皆一緒になって遅くまで、皆キズをなめ合うようにして懸命に頑張っているから、組織開発の専門用語でいうところの、組織の通意性と共感性が高くて、従って上司からの要望性も良好な職場であった。
しかし、中田は、このような勤務の状態はむしろ異常であり、普通の企業のように正常に戻すべく、内部編集を少なくして、外注による編集、いわゆる外制化をより促進させよう、更には全国にも編集拠点を展開しようではないかと、経営幹部に前述の提言をしていたのだ。
ただ一つの問題点は、半数が女性で、皆若く、深夜残業してもまだまだ精力があり余っており、為に男女問題がたびたび起こることだった。殆どの者が、社内或いは社外に、自分の恋人を持っていた。上手にやる者が大半だったが、時たま女性を妊娠させたり、同棲がバレたりすることがあった。
管理職は、こういうことを未然に察知して防いだり、また本人達を合意させ、無事に結婚させたりして、上手に対処することも、もう一つの大事な任務だった。しかし、金村が島村と同棲していたのは、彼女の言う通り、中田も全く知らない話だった。
それでも、ある時、金村洋子のことについて編集部の部員から思わぬ話を聞いたことがある。社内のレクレーションで、彼女の運転する車に、偶然に同乗することになった印刷担当の若いF君が、中田にだけそっと教えてくれたことがある。
「金村さんはねー、車を運転すると、普段の人格が変わるのです。豹変されるのですよ。ホントですよ」
「えっ、どういうこと」
「運転している自分の車の前にですね、よくあるように、他人の車が前を走っているとしますよね。すると金村さんは。さっさっと走れよ、テメエー、モタモタするんじゃねーよ。見てなよ、追い越してやるぜ。とか、車の中で、大声で早口に叫んで、形相も変わり、アクセルを目一杯ギューッと踏んで加速し、えらく速いスピードで、その前の車を追い抜くのですよ。こっちは、怖くてね、ヒヤヒヤものでした」
「へえっー、そう。ヤンキーに豹変するのだ」
中田は信じられないでいた。しなしなと歩くあの優雅で大人しそうな人が。西洋人のように姿勢が良く、品のいい身ごなしで、スタイルの良い彼女を見ている限りでは、全く解せないことだ。そんな下品なことを言うとは、想像も付かない。この時から、金村の挙動を特別に注意するようになったが、職場に親しい女性がいること以外に、別段、知り得ることはなかった。
女性のアルバイターでも、男より大胆なことをしでかす者もいた。四国出身の敷居とかいう妙な名字の女性に、ある課の課長が経理事務一切を任せていた。この課長は、英語がペラペラで豪放な気性のせいか、ものごとを「いいじゃねぇか」と全部任せて殆どチェックをしないという人だった。
彼女は、彼のクセを熟知してからというもの、請求書に添付する納品書を必ずコピーしておいて、後日に架空の請求書を作り、それにコピーした納品書を少しずつ添付して、金を自分の口座に振り込ませるという手口で、3年間に何と2,500万円もの金を横領した、ということ等だ。
膨大な量の納品書だったから、一度使ったものかどうかの見分けが経理部でも確認できなかったし、またコピーした納品書でも当時は認められていたからだ。しかし、金村洋子の男関係やまして男と同棲していること等については、中田は全く知る由もなかった。
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