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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  3.「そして悔恨の日々」 Back Number 保存庫

        

         

5.女狐、篠原文子の陰謀

 

 

その大滝課長がいう。

「部長のお宅が、ここからすぐ近くにありまして、できたら次長様と一緒にお立ち寄り下さいと、文子奥様から言われていましたので、いまからお宅までご案内します。私と一緒にご同行いただけませんか。どうでしょうかね。次長さん。宜しいですよね」

 

 

『そういうことか。まあいいか、一度、篠原の家も見ておくことも必要だから、同行しようじゃないか。大滝君のも立場もあるだろうし。まあいいか』

と思い、つとめて明るくOKの返事をする。

 

 

「ああ、いいですよ。それは、返ってありがたいことですから」

来るときに乗ってからずっと、待たせていた先程のハイヤーに乗って、ほんの5分程で篠原の自宅に到着する。120坪程度の土地に、建て売り住宅だが、割と大きめの家で壁が白く、瓦が小豆色をした、スマートな雰囲気の家だ。

 

 奥さんの趣味なのだろう。駐車場は、4台が留まれるほど広くて、既に2台が駐車している。なかなか豪勢なものだ。駐車場に車を置いて、大滝に連れられて玄関に着くと、彼女が立って待っている。お出迎えか。なんで、こんなに気を遣ってくれるのか。大体の想像はついているが、部長の奥さんも大変なことだ。

 

 

彼女は、篠原よりも5歳若くて、46歳になったばかりと大滝課長が説明する。すると、田淵より10歳年上だ。佐久間良子という女優によく似た、瓜二つの顔をした美人で、仲々に気品のある風情である。

 

 

『なんでこんな美人が、篠原のようなおっさんと一緒になるのだ。癪にさわるほど、なかなかのものだ。横顔が教科書で見たネアンデルタール人そっくで、鼻孔が広がり、顎が張り、分厚い唇をした篠原とは、まさしく美女と野獣の組み合わせではないか。篠原の、その精力的な雰囲気に参ったのかな』田淵は、余りにも組み合わせのギャップに感心する。

 

 

ドーンストン・ドン・ドン、ドーンストン・ドン・ドン 二階の部屋からは、ボリームを一杯に上げたステレオの音が聞こえてくる。流行っているアル・クーパーの“ I  stand  alone ”という曲のレコードだ。

 

 

『篠原の息子だな。こいつも、アル・クーパーを知っていたか』田淵は、独り言を言って、音の大きさに呆れる。

 

 

「田淵次長様、過日は、篠原の入院先までお越し頂きまして、お見舞いも賜りまして、大変にありがとうございました。篠原からも、よくお礼を申し上げて置いてくれとのことでした。お陰様で、術後の経過が大層よろしくて、あと20日もすれば、退院できそうですのよ。本当にありがとうございました」

 

 

「ああ、それは、それは、よかったですね。当社の印刷の神様に、早く元気になって貰わないと。これからが、印刷のフルシーズンで、一番シンドイ時期を迎えますのでね。これで、私もやっと肩の荷が下りるというものです。ほんとうにおめでとうございます」

 

「ところで、次長さま、先程ご覧いただいた製本工場は、実は私の弟が経営しておりますのよ。商社マンだったのですが、宮仕えは自分の性分に合わないと言って、篠原の指導でこの事業を始めましたの。最近になって、やっと軌道に乗り始めてきたと、弟が言っていますのよ」

「ええ、大滝君から先程、その話を聞いて、知っています」

 

「ところで、次長さんは編集企画部の林部長さんとの仲がお悪くなって、篠原の部署に来られたのですってね。江嶋社長さんから、何か特別のお仕事でも仰せつかってこられたのかしら。それが、何なのか、ご使命の内容をそろそろ明かして下さらないかしら」

 

 

「この部署で使い者にならなかったらなあ、他に引き取り手がないから、もう田淵君は退職するしかないなあ、と篠原は言っていましてよ。オ・ホッホホホホ」

 

「それとも、部長への昇進を約束するし、また近い将来、役員への推薦もするから、篠原一派に入れと君から説得しておいてくれないかとも篠原は申しておりましてよ。入るか、入らないか、この2つに1つしかないのですのよ。田淵さん」

 

 

我々のすぐ側で、大滝課長も一緒になって話を聞いているが、彼女は全く頓着しないし、気にもしていない。

『なかなかに、肝の据わった女だ。弟に事業をやらせることも、この女の指金かもしれない。それにしてもハッキリものを言う人だ。きっと私に揺さ振りを掛けているのだろう。そして、仲間に入れば、抜いている金の分け前をやろうということだろうな。ズケズケ言うことで、冗談だと思わせて、カムフラージュしているのだろうな』と田淵は思った。

 

 

「奥様、何かご冗談を仰っておられるのではないでしょうか。私は、いつも部長の味方ですし、篠原部長の部下ですから、いつも仰せの通りにしておりますよ。今でも、一派のつもりですから。社長からの特別の任務なんてものは、全く存在しません。私が知りたいぐらいです。私かって、会社をクビになるのはイヤですからね。私を試すようなことは、もう止めて頂けませんか」

 

『社長からの特命事項を承けたことは、勿論、此奴らには、決して口外するものか。此奴らの構図は把握できたが、証拠資料をどう集めるかだ。まさか、大滝課長には頼めないし、自分で集めるしかないだろうなあ。会社の金を吸い取っている、篠原一派を絶対に地獄に送ってやるぜ』

 

 

『どうも、匂っている。女狐の頭から立ち上っている辺りも臭いぞ。紙の発注価格の工作と、ここの鈴木製本の私物化か。両方合わせて2億円前後か。この時点で江嶋社長に報告を上げて、指示を仰ぐのが本来の筋道だろうかなあ。しかし、私にも、コスト削減策という方策の結論を或程度出してからにしたい、という自負もあるしなあ。異動先で、確かな実績もあげたいし。今報告を上げたら、社長は、キット、君出直してこい、と言うだろうしなあ。

 

 

それに、篠原は、近々に退院するとはいえ、今、報告を上げたら、病み上がりの者の背後から、バッサリと斬りつけるのと同じことになる。そんな卑怯なことは、僕には、絶対に出来ないしなあ。』

 

 

このときは、特命事項の真の意味を理解せず、浅はかにも田淵はこう考えていたのである。要するに、お人好しで、考えが甘かったのである。この浅慮が、後々、彼の命取りになるとは知らずに。

 

 

 

 

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