●
12月31日(金曜日)
「ゼロの法則」
ゼロとは、或量からその同量を引けばゼロになるが、そのゼロのことを、ここでは言う。人生は、すべからく、この法則に向かって収束をしていくものである。
彼女は、田舎育ちではあったが、古くから代々庄屋を張っていた家系に育ち、その地域の耳目を集める大変な美人であった。加えて、三人娘の真ん中だったから、甘やかされることもなく、それなりに厳しくされたので、気配りのできる心根の優しい女性に育っていた。背は低くはなく腰高でヒップが張り、また見せびらかすように大きい胸を突き出して話すクセがあった。
また、その声はハリがあり大きかったが、少し鼻にかかった低音でゆったりしていたから、体の芯からセクシーだ。だが、地域の青年団の男達は、家系が庄屋のこともあり、恐れをなして誰も声を掛ける者はいなかったという。
ところが、或日、隣町の村井家の跡取りの辰夫という男が、二尺はあろうかという鯛の姿焼きを竹籠に入れて、それを代理人に持たせて彼女の家に運び込み、自分の方から正式に結婚の申し込みをしたという。村井家は、隣町の町長をしており、家業は焼き物の窯元で、隆盛を極めていた。彼女には、申し分のない縁談であった。
辰夫の代になって家業を一層拡大させ、株式会社組織にもして、彼女は社長夫人となった。欲しいものは、何でも手に入る。美人の性か、特に自分の身を飾るものに殊に関心が高く、和洋を問わず装身具にも手を広げ、その金でマンションの二三棟は買えたというほど、買い漁ったという。
商売は、まさしく水物である。焼き物などに使う余裕のなくなった不況の昨今、とうとう会社が何十億という借金を残して倒産してしまったのである。彼女の贅沢品は全部処分しても、買った価格の1/100にもならず、焼け石に水だった。
離婚こそ、しなかったが、彼女は、今や、直ぐ下の実妹の持っている家の一間を借りて、習字の先生をしてやっと糊口をしのいでいるという。まさしく「ゼロの法則」である。◆