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Welcom to Essay by Dan !

2005年を素晴らしく、かつ

有意義にしたいと祈念いたします。

Hubble撮影のフォトン・ベルト実写画像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   日記風エッセイ(15)
   





1月26日(水曜日)



続続々「マニラの黄色い太陽」



リンダの母は、パグサンという名のフィリッピン人。父はスペイン人の男性とシンガポールの女性との間に生まれたミゲルという名前のハーフ。だから、リンダはスペイン・クォーターである。目の色は、少し緑がかった灰色をしており、小柄で髪は黒く肌は白い。父のミゲルは船員で、18の年にマニラに来て居づき、パグサンと結婚してリンダをもうけた。既に他界しており、もう15年になる。そのミゲルの父、即ちリンダの祖父は、元々はイスパニアから来た人の子孫で、名前をミカエルと言い、代々シンガポールに居づいていた。この祖父ミカエルの先祖は、イギリス大航海時代に、インド洋行きの船舶にイスパニアから乗船した雇われ船員で、名前はカルロスという。だが、船がシンガポールに寄港したときに、何らかの目的があって下船し、カルロスはそこに住み着いたのだという。下船した動機は謎だが、何人かの船員が同調して船から逃亡したようだ。マイクが成人してから、何回か母のリンダの元に通う度に、彼女のルーツを聞かされていたから、マイクからこの話を聞いていて、私も概略を知っていた。



2005年1月5日の朝日新聞に、次のような耳目を疑う記事が掲載されていた。大航海時代とほぼ同時期に、日本からも、伊達政宗の命を受けて、支倉常長が遣欧使節として30人強の部下を従え、サン・ファン・ヴァウティスタ号という木造船で、東向きという大変に厳しい航路で、太平洋を横断し、メキシコ、イスパニアを経てローマに渡った。マゼラン世界一周の約100年後の大偉業である。ローマ法王に謁見して、通商交渉を果たしたいという伊達政宗の悲願であったが、謁見はできたが結局、法王の許可が下りずに常長の労は報われなかったという。加えて、ローマの手前、イスパニアで7人もの部下が脱走して、イスパニアに住み着くという事件も起った。彼等はハポン(Japon)と呼ばれ、現地に根付き、現地女性と結婚を繰り返して、何代にも渡って生命を受け継いできた。今は、セルビア市近くの港町コリア・デル・リア市に、現在では648名にもなる、その一族の日系人がハポン姓を名乗って住んでいるというのだ。



この記事から、逆にイスパニア人が船から逃亡して、シンガポール根付くという船乗りには多いこの話が、ほぼ同時期には、同じようなことが世界中であったのだと知らされた。だから、リンダの話も嘘ではないと、私は確信した。リンダは、その逃亡イスパニア船員である、カルロスの子孫なのだ。



ここの、エッセイの何回目かにも書き、また私のHP小説の「トラベル・ジャーナル」を読んで貰えば分かると思うが、霊感体質の私は、夢に強い。このシリーズの最後を締め括るべく集中していた為か、昨夜カルロスが出た。額が禿げ上がり、耳の下から顎そして口まで続く白い髭を蓄えた、紅い色の船員服で、目の大きい酒焼けした男だ。


「お前が、ダンか。俺がリンダの祖先の、カルロス・ハポン・コルテスだ。私の父は、ハポンだったよ。我が一族の悲願は、君の力でとうとう成就した。有り難うよ、ダン」


そう言って、窓から抜けて出て行った。



今朝方、符合するかのようにリンダから電話がきた。認可がもう下りてしまった申請書類に、ホテルの従業員の教育方法や内容について至急に追加記入せよとの指導が役所からあり、どう記入したら良いかとの相談だ。丁度、マイクがシンガポールに出かけていて、対処ができないからだという。



「分かった、なかなかに親切な役所だね。日本と大違いだよ。それならさー、殆ど日本人をターゲットにするので、日本から専門家を呼んで教育に当たらせる、と書いておいたらどう」


と私は答えた。続けて、気になっていることをリンダに聞いてみる。


「マイクから聞いていたが、君の先祖の初代のイスパニア人は、名前をカルロスと言ったよね、確か」

「そうよ、どうしたの、ダン」

「フルネームは分かるかい」

「確か、ハポンが付いていたから。カルロス・ハポン、何とかだとミゲルからは聞いていたわ。あなたには、内緒にしていたけれども、カルロスの父はハポンだったのよ。ハセクラの部下だった人らしいけれど、名前は知らないわ」



夢のことは、彼女には言わないでいたが、これで私には全てが判明した。そして、リンダの使命と役割をも。



イスパニア・ハポンの子が、あのカルロスだったのだ。彼は父の国を求めてシンガポールまで来たが、力尽きた。その何代かの後に、ミカエルの子供で強くて勇気あるミゲルが、マニラまで来た。そして、リンダを残して力尽きたのだ。だから彼女は、ラマダホテルに宿泊していたハポンの私に近づいてきたに違いない。つまり、彼女にとって、あれは遊びではなかったのだ。宿命を感じざるを得ない。



「黄色い太陽の国」は、イスパニアでは日本のことをいう。本当の「黄色い太陽」は、マニラでなく、だからハポンにあったのだ。そして、リンダはマイクという本当の「黄色い太陽」を得た。カルロス・ハポン・コルテスの「父の国へ行きたいという」永年の夢も世代をまたがって、ここに成就したのである。そして、私の次男、真幾は、マイク・ミゲル・ハポンと改名した。










                                       
<大航海時代参照>
1488 ポルトガル、バスコ・ダ・ガマ喜望峰発見、東ルート開発
1492 スペイン、コロンブス第一次西ルートに出発
1519-22 ポルトガル、マゼラン世界一周
1580 スペイン、ポルトガルを併合
1588 イギリス、スペインの無敵艦隊を破る
1602 イギリス、ロンドン東インド会社設立
1613-20 支倉常長、ローマ訪問
1698 イギリス、東インド会社設立
1709 イギリス、合同東インド会社設立



                                      



クョスコニョ    [1] 
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