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Welcom to Essay by Dan !

2005年を素晴らしく、かつ

有意義にしたいと祈念いたします。

Hubble撮影のフォトン・ベルト実写画像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   日記風エッセイ(30)
   










2005年11月30日(水曜日)

「土方、馬方、道具方」 




これは、この世界に入ってから初めて知った言葉であるが、舞台裏の大道具担当方が、馬方よりも地位が低いという言い方で、道具方が定職を持たない最下層の人間の集まりであることを端的に現している。が、実のところはそれだけではなかった。では、今からこの世界の裏側を紐解くとしよう。


道具方は、更に細かく階層がある。上から、狂言師、棟梁、絵師、大道具、小道具、泥絵の具溶き、下地張り、糊練りと続く。今でも、その殆どが定職を持たず、舞台があるとお互いに声を掛け合って、横のつながりだけで集まってくる者達が多い。しかし、昔の名残で、荒くれで喧嘩っ早いが、不思議なことに、一応に役者崩れのように小粋で男振りの良い者が多い。


また、一枚60kgはある、大変に重量のある檜の所作台を30枚も敷き詰めて、所謂「檜舞台」を作ったり、一枚40kgもある平台を軽々と担ぎ、馬脚(うまあし)に並べ階段舞台を組み立てたりと、大半が力仕事をする連中だから、屈強で体格も良く、いわゆる筋骨隆々たる男達だ。人に命令されることを嫌うから、それを知らない者が、無礼なことを言ったらならば、途端に喧嘩が起きる。刃物を持ち出すわけにはいけないから、大体が鋸と金槌が交叉するという、血を見る怖い世界でもある。


更に、もっと恐ろしいことがある。吊り物を吊っている綱には、滑車を介して吊り物の重量とバランスを取るために、鎮(しず)という10kgはある凹形をした鉄の重りが何枚も綱に差し入れてある。綱を預かっている綱元が、油断をしたり、また力が足りないと、吊り物の重さに耐えかねて綱が速いスピードで登りはじめ、鎮ごと天井まで持ち上がる。最悪の場合は、その鎮が何枚もバラバラと落下してくることである。こういう時には、「おいー、逃げろ。鎮が落ちるぞーっ」と声を掛け合い必死で綱から逃げるが、無論、体に当たれば即死となる。このように、今でも尚、彼等はいわば命がけの仕事と同宿している。だからこそ、刹那的な生き方をせざるを得ないのかも知れない。


現在の舞台は、江戸は元禄時代に完成されたものが殆どで、それらが綿々と受け継がれてきて、現在では、ご存じの通り、能、歌舞伎、人形浄瑠璃、狂言、日舞、剣舞、吟詠等に分派している。そのいずれにも道具方の世界が付随している。逆に言えば、道具方がそれぞれの舞台を立派に作り上げていると言っても過言ではない。現在では、これに加えて、照明屋や音屋が加わる。テレビのセット等も全く同じシステムとなっている。


話は変わるが、江戸時代において、大奥の女性達の一番の楽しみは、この歌舞伎舞台の観劇であったという。公然と外出ができて、しかも階級社会から飛び出して、肩の荷を下ろし気晴らしが出来るからだ。しかし、彼女達にはこのこと以外に、実はもっと大きな目的があったのである。それは、舞台裏にいる、自分の気に入った道具方の男を買いに行くことであったのだ。男日照りを、ここで紛らわしていた、というのである。大奥の女性に限らず、大店の奥様や、若くして後家となった跡取り娘等も、更には驚く無かれ天皇家の宮中に努める女官達も、然りだったというではないか。


ご存じないかも知れないが、舞台裏には目立たない小部屋が多く、見えない影間もふんだんにある。また、地階(ならく)があったり、中二階や天井部屋があったり、役者の個室や化粧室をはじめ、道具置き場、材料置き場や照明機材置き場等の小部屋が数多く設置してあり、その構造も通路も複雑になっている。だから、男女2人が睦み合う部屋を探すぐらい、道具方にとっては、いとも簡単なことなのだ。そして、舞台が始まれば真っ暗闇となるから、舞台裏に誰かが入ってきても分からなくなる。木戸銭さえ払えば、どこに行こうが客の自由であった。オペラ座の怪人そのものの世界がここで展開されていくのである。だから、この種の目的を持って観劇に来た者にとって、ここほど好都合な場所はなかった。


「そこにいるのは、伝七かえ。お前かえ」

「その声は、御寮さんで。へい、あっしです。伝七でやんす」

「まあ、伝七なのね、会いたかったわあ。ねえー、もっと強く、強く抱いてえおくれでないかえ、ううん」

暗闇の中でも、伝七の右手は、もうお種の胸襟から入っていた。

と、まあこういう風に「愛の世界」が展開していく訳である。


江戸時代の18世紀初めに、当時最大の愛欲スキャンダル事件が、この歌舞伎座で起こった。いわゆる、江戸大奥の絵島事件である。絵島は、七代将軍の家継の生母付きの奥女中の内で、その最高位にあったにもかかわらず、歌舞伎俳優の生島新五郎と舞台裏で何回も密会を重ねていたが、遂にことが露見した。ために、親族、同僚、奥医師、舞台座元、や裏方の者まで、何と1500人もの関係者が摘発され、死罪や島流しが断行された。


更に、天皇家の宮廷に於いても、側室のからむ大事件が起こった。天皇の側室であった当代絶世の美女といわれていた、広橋と唐橋をも巻き込んだ、今業平ことイケメン公家青年の起こした「猪隈教利(いくまのりとし)事件」がそれである。これは、今でいう、側室達と公家青年グループによる所謂、乱交パーティーであった。関係者は、男9人と女5人であったが、ことがことだけに、切腹死罪をはじめ、関係者一同は八丈島や隠岐島へ流罪となっている。これも舞台裏が逢い引きの場所、今で言うラブホテルとして使われたというのだ。おそらく、道具方の者が手引きをしたに間違いないと推察される。


このように、アウトローそのものの世界が、また刹那的な愛欲の世界がここにはあったのである。だからこそ、彼等は馬方よりも下と蔑まれ、件(くだん)の言い回しがされているのだと、筆者は考察している。そして、今も尚、その片鱗は、女優達や客達の道具方を見る、舐めるような目つきに、そこかしこに息づいている。



(上記の事件は、11/19発行、朝日新聞日曜版・別刊be を参考にしました )

 

 

 

 

 

 

 





 

クョスコニョ    [1] 
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