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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  7.「いのちの電話」前編  Back Number 保存庫

 

 

 

 

          

 

 

 

6.自殺騒動

 

 

 

 

「沢田はん。2年前の当時の京都新聞は、読まれておられまへんやろなあ。東京でしたもんなあ。大きく載ったんどすわ、新聞に。実はねえ、マドンナの旦那が自殺したんですわ。この人等が住んでいた、堀川通りのマンションで、夫婦喧嘩の末、旦那が自分で、自分の腹に包丁を刺したんです。大変な騒ぎになりました」

「ええっ、そんなことがあったのですか。ホントですか。ビックリですねえ。へえー怖い」

 

 

 

吉田英子が、肩を落として語り始める。

「私の祇園店のエカテリーナが順調にいっていたから、もう1軒、新しく店を出して事業を大きくしたかったのよ。ところが、主人の吉田は反対したの。何故反対するのか、全く不可解だったので、追求すると、私達の虎の子を使い込んでいたのよ。私の店の、智子というホステスに手を出して、彼女に、3000万円もの大金を入れ上げていたのよ。23通に通帳を分けて入れてあったのだけど、その内の一番沢山入れて置いた通帳に、あると思っていた貯金が全部引き出されているじゃない。全くふざけた話でしょ。あいつは、もの凄い男前だから、女に良くモテタのよ」

 

 

 

「女に騙されていたのだと思うわ。それで、私も頭にきて、メチャメチャに吉田を怒ったわ。罵倒してやったのよ。頭に来て、部屋の中もメタメタに壊してやったわ。大ゲンカしたのよ。私は、金を取られたこともあるし、それよりも主人に裏切られたことの方に腹が立って、腹が立って。それで、つい包丁を持ち出したの。包丁の取り合いでまた大暴れしたのよ。結局、吉田は追いつめられたと観念したのか、最後に私の手から包丁をもぎ取って、自分で自分の腹に刺したのよ。こう言っていたわ。『そんなに俺を追いつめて、そこまで言うのなら、俺は死んでやる。俺が死んだら、お前は気が済むのやろ』、とね」

 

 

 

 吸っていたタバコの煙を、フウーッと一息噴き上げてから、また話はじめる。普段から、マドンナは、店でタバコは吸わないが、ここでは遠慮なく吸っている。見事な吸いっぷりだ。オーナー・ママをしていただけあって、様になっている。だけど今も、よほど昂奮しているから、吸っているのだろうと、沢田は憶測する。

 

 

 

「ホントよ。ハッと我に返った時には、もう自分で刺していたわ。気が転倒していたけれども、何とか救急車も呼んで、警察にも電話したわ。しかし、出血がひどくてねえ。絨毯にもべっとり血が大きく着いていたわ。だから救急車が着いた時は、もう手遅れで、とうとう出血多量で死んだの。私は、刺してやりたいとは思ったけれど、辛うじて理性が働き、刺してはいないわ。自分で刺したのよ。警察が来て、何回も何回も事情聴取を受けて、調べられたわ。でも、やっと私の主張も認められたのよ。ホントに辛かったわ」

 

 

 

「どうして、認められたのですか」

腑に落ちず、沢田も聞いてみる。

「それはねえ。二人で、包丁の取り合いで揉み合っている時に、アイツが手に取った包丁が、たまたま私の背中をかすったのよ。だから、私の背中にも5cm程の傷がついたわ。自分では、付けられない場所なのよ。それで、吉田が包丁を持っていた、という私の主張が認められた、という訳なの。それまでは、警察は、私が手に持っていた包丁で、刺したとばかり思っていたわ。もう、こんな話はしたくないわ。思い出すのもイヤだわ。ねえ、マスター」

 

 

 

マスターが顔をしかめて言う。

「そうなんですわ。大変な騒ぎになりましてなあ。それからというもの、マドンナも頭が混乱して、とうとう気が変になって精神も異常になりましてなあ。暫く、そう半年ばかり、済生会病院の精神科に入院してはったんですわ。それから、退院して半年してから、ウチに手伝いに来て呉れている、という訳ですのや。来て呉れるようになってから、かれこれ1年になりますかなあ」

「そうなの、済生会だから、私は生き返ってきたの。もう一度生まれ変わってきたのよ。それで、過去を清算したかったから、店も、車も、マンションも皆んな処分したわ。違約金の精算とローンの残債処分があったから、結局幾らも残らなかったのよ。返って大損したわ。でも、マスターさあ。生き返ってきたとは言うものの、実は、私、今でも調子が悪いのよ。あの時のことを思い出すと、震えが出てくるのよ。また、元に戻るのじゃないかと思い始めると、怖くて、怖くてね、体も震えてくるのよ。私の頭の中は、どうなっているのだろう。本当にもう大丈夫かしら」

 

 

「アンタは、絶対大丈夫だよ。ワシが太鼓判を押したる。アンタは、もう直っている。絶対に元には戻らん。心配はない。ホントに女の人が狂ったら、着物の前をはだけて、平気で外に出て、道を歩くようなことをするのが、普通だぜ。マドンナは正常だから、心配はいらないの」

 

 

 

大変な話を、沢田は聞いてしまった。

『人が背負っている、過去の背景は、見かけでは分からないものだ。自分の挫折経験なんぞは、取るに足らないことだよ。全く大したことではないじゃないか』と、客観的に自分を見ることが出来るようになっているのを、沢田は、自分自身で発見するのであった。

 

 

 

時計は、既に深夜の12時前になっている。まだ、聞きたくもあるが、キリがないから沢田がケリを付ける。

「すみません。今日は、もう遅いので、お勘定をお願いします。マスター」

「ああ、こんな時間か、せやったなあ。沢田はんやさかいに、今日の分は、おおマケで、もう2000円でええわ」

金を払って、沢田は、寮のある方向に向かって歩き始める。外に出てから、かなり酩酊していることに、気付く。フラフラしながら、この時間帯は殆ど車が来ないと分かっているので、わざと車道を歩いて戻っていく。街灯に照らされた、彼の後ろ姿は、うなだれて、肩を落として力が無い。沢田の前に浮かんでいる、自分自身の影は真っ黒で、異様に長く、そして寮の方向にまで伸びている。

 

 

 

 

 

 

 

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