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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  7.「いのちの電話」前編  Back Number 保存庫

 

 

 

               

 

                 

3.焼鳥屋の「鳥清」

 

 

 

会社の仕事が終わると、帰り道で、寮のあるブロック区域の南西入口角にある「鳥清」という小さな焼鳥屋に寄るのが、沢田の日課である。会社から寮までは8分程で歩いて帰れる距離にある。スグに帰っても、誰かが待っている訳でもなく、また自分一人で部屋に居ると、どうにかなりそうで怖かったからだ。この店から、沢田の寮までは、徒歩で、ほんの2分もあれば戻れる。帰り道にあって便利だから、沢田は、殆ど毎日のように、「鳥清」で時間を潰して、張りつめていた神経を酒でほぐし、4050分経ってから寮に帰ることにしていた。職場の山本憲一、野口悟、見崎和夫、岡田義昭という4人の部下も、殆ど毎日のように沢田と一緒に、付き合って呉れている。上司に誘われたら断れないからである。

 

 

 

この焼鳥屋は、京都らしく間口が二間と狭く、奥行きも四間程の小さな店だ。入って左側にカウンターがあり、真ん中の通路を挟んで右側に狭い座敷がある。座敷には5人が辛うじて座れる小さな円形の座卓が3セット置いてある。5月下旬、梅雨前の、うっとうしい今夜も、その座敷の一番手前の、いつもの席で、5人は杯を交える。この席は、入り口に近く、何時も空いていたからである。マスターは62歳の背の高い大柄の男で、焼鳥屋には場違いな、インテリ風の縁なし眼鏡を掛けている。余り多くを喋らずに、客の語りに任せている。もっぱら、注文を請けたメニューの鶏肉を焼くのと、お酒の準備に専念している。

 

 

 

この店のマドンナと言われている、356歳の給仕係の女性は、小柄だが、名取祐子に似たなかなかの美人。だから、決して綺麗な店とは言えない焼鳥屋ながら、彼女目当ての客で「鳥清」は何時も賑わっていた。入り口に近いカウンターには、彼女の心遣いか、常に季節の花が飾ってある。今は梅雨時だからか、薄青紫色の紫陽花が小さな素焼きの器に生けられている。ほっとする配慮だ。

 

 

 

このマドンナは、実は、部下の山本係長の元部下であった女性だという。彼女は山本係長のことを「憲さん」と呼んでいる。山本は、東邦電機の北川宗一郎社長が操業したときから中卒で入社して現在まで、そのまま続いて在籍しているという、会社の一番の古手である。北川社長からも、山本は憲さんと呼ばれていた。憲さんは、その後、東邦電機で仕事をしながら夜学の高校にも通い、高卒の資格を取ったという苦労人である。マドンナは、山本係長が当時担当していた、製造ラインの女工さんだったのだ。当時は機械化が進んでいなくて、製品を作る8つのラインには女工さんが大勢並び、手作業で製品を組み立てていたという。興味を持っていたので、沢田は、一度マドンナに聞いてみたことがある。

 

 

 

「あのう、マドンナさんは、今の会社で以前、係長と一緒に働いておられたのですってね」

「あら、そうよ。東邦電機のね。工場のある前の通りはね、仕事が終わると、女工さんが群れて退社してきてさあ、帰り道がうら若き彼女達で、道路一杯になるから、東邦銀座って呼ばれていたのよ。彼女達目当ての若い男も、一杯集まってきたわ。私は、憲さんの下で働いていた、その女工さん連中の中の、一人だったのよ」

「そうだったのですか。それは、知りませんでした」

 

 

 

何故か無口のマスターが口を挟む。意外に艶のある大きい声だ。

「沢田はん。このマドンナはな、吉田英子と言う名前なんやが、女工を辞めて、それからは発憤してな、何と同志社大学の英文科を卒業してはるんやで。僕は、中田肇という名前やが、マドンナは、実は、同じ同志社の僕の後輩でもあるんですわ。なにね、僕の友人の田淵君の娘さんで、少女の頃からよく知っているという間柄なんじゃ。結婚したから、田淵から吉田英子に名字が変わったという訳さ。大変に頭の良い娘でね、今は或事情があって、ここでバイトして貰っているのだが。3年前までは、クラブ・エカテリーナを経営していた、ママだったのですわ。ウァッハッハ」

「ええっ、クラブって飲み屋のですか」

「そうさ、祇園の花見小路にある立派なお店でなあ、大賑わいだったんやで。そこのなあ、オーナー・ママだったのさ」

 

 

 

マドンナが、我々が追加で注文した焼き鳥の、「つくね」を運んできてくれて言う。

「マスターったら、この人に、余計なことを言わないでよ。もう、男はコリゴリなんだから。私に興味を持たれたら困るでしょ」

それでも、なぜか頬にえくぼを作って、顔も赤らめている。

 

 

 

また、マスターの中田が口を挟む。今日のマスターは、何故か上機嫌。時折、眼鏡がキラッと光る。お洒落な、マスターだ。

「沢田はん。沢田はんも、訳有りでっしゃろ。東京のどこにおられたのでっか。ドンビシャですやろ。ことばが関東弁ですからスグ分かりまっせ」

「会社は、銀座でしたが、住まいは戸塚でした。東京で勤め始めて、16年になりましたかねえ。まだ、こちらのテンポに慣れなくて、困っています。でも、元々は関西出身ですよ」

沢田は、自分の方に矛先がきたので、癒えぬ傷に深追いされたら困るから、適当にあしらおうと考えた。

 

 

 

「ところで、先ほど聞いていると、マスター、いえ中田さんは、同志社の英文科出られたそうですが。どうしてこんな、と言っては失礼ですが、焼鳥屋のお店をやっておられるのですか」

矛先を、相手の方にと向けた。意外とマスターは、ニコニコして、自分のことを饒舌に話し始めた。縁なし眼鏡がよく似合っている。鼻も高く、大学教授のような雰囲気だ。

「私はね、こう見えても、教養人ですから、教養の無い人は嫌いなのです。話もする気にならないのですわ。直感で、沢田はんが好きになりましたので、話をしましょう。実は、こんな話は、滅多にはしないのですがねえ」

 

 

 

沢田が、焼き鳥屋の店「鳥清」に通い始めてから、かれこれ2ヶ月が経過していた。

『つまり、その間に自分が観察されていたと言うことか。この人は要注意だな』と、前の会社でのゴタゴタがあってからというもの、人間不信に陥っていた沢田は心の中で、傷ついた精神を庇うように、もう一方の自分自身に言う。

 

 

 

 

 

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