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 田楽男の小説
小説の背景と概略紹介
                     

  

  7.「いのちの電話」前編  Back Number 保存庫

 

 

 

 

                   

2.オートロック式のドア

 

 

 

 

 

 

 

 

沢田啓介が、普段から見かけていた、右隣の住人は、見栄えがしない、212歳の小柄な女性である。名前は、竹内良子という。ネームカードが、彼女の部屋のドアに掛かっているからスグに分かる。そして、何故かドアの表の真ん中に、「いのちの電話・京都支部」と書いたはがき程の大きさの、古ぼけて茶色く変色した張り紙が、電話番号と共に、貼り付けられていた。電話番号は(075)864-4343となっている。

 

 

 

このアパートは、京都市の右京区にあり、元々は、染色業を営む、星野染工汲ニいう会社の鉄筋コンクリート造・4階建の女子寮だった処だ。繊維関連の不況で、会社の規模縮小に伴って閉鎖された女子寮は、1階と2階は事務所に、3階は倉庫に、4階は51間に半畳という小さなキッチンと半畳の土間を付けて、独身者用10室の小さなアパートに改造されて、一般用にも賃貸されていた。京都のアパートだから、勿論風呂は付いていない。近所に風呂屋が23軒あるから、そこを利用するらしい。当時でも、もっと小綺麗で贅沢な物件に人気があった。その見窄らしいアパートで埋まっていたのは、たったの3室である。沢田啓介と竹内良子の部屋。もう一部屋は、独身者用なのに何故か、夫婦者で子供のいないシルバー世代の西田という者の部屋の3室だけだ。家賃は有り難いことに、月8000円と安い。元々は女子寮だったので、沢田はこの自分の部屋を、今でも寮と呼んでいる。アパートでも、ましてやマンションでもないからだ。

 

 

 

建物の本体は鉄筋コンクートでシッカリ作られており、昔の事務所の名残か、東向きの窓は分厚いアルミ製の重々しいサッシュが付いており、ドアは鉄製のしっかりした扉でオートロック式になっている。しかし、室内の沢田と竹内の部屋との仕切りは、束を立てて両側からベニヤ板を張っただけという、誠に粗末な構造になっている。他の部屋も恐らく同じだと思われた。だから、隣の部屋の物音が、アケスケに聞こえてくるのだ。

 

 

 

京都の街は、いつも風がなく汗ばんでいる。4月下旬の、ある蒸し暑い夜の8時頃のことだ。近所の銭湯に入って、部屋に戻った沢田啓介は、風呂上がりに、もう一度外の冷気に当たろうと、ランニング・シャツにステテコ姿という軽装で、無意識にも、鍵を室内に残したまま、外に出てしまった。オートロック式のドアだから、あっと思う間もなく、ドアがカシャと閉まってしまう。財布も室内に置いたままだから、大家に電話もできない。勤めている会社の総務も、夜だから閉まっている。沢田は、血の気が引くほど動揺する。おまけに、ランニングにステテコ姿だから、ホトホト困り果てる。どうするか思案する。残された頼みの綱は、隣の女性しかいない。彼女から、10円玉を23枚借りて、このアパートの大家である、星野染工社長の星野孝治さんに電話して、合い鍵を借りるしか手がないと沢田は考えた。若い女性の部屋だし、ランニング・シャツ姿だと誤解もされる。他に、もっと良い方法がないだろうかとも、暫く考えて躊躇していた。しかし、湯冷めもするし、それ処ではないと決心して、矢張り、隣人の部屋のドアを思い切ってノックする。

 

 

 

「竹内さん、竹内良子さん。済みません。お願いがあります。竹内さん」

幸いにも、彼女が出てきてくれた。小さい鼻のしゃくれた、シーズーという犬の様な顔をしている、若い小柄な女だ。

「済みません夜分に、誠にごめんなさいね。こんな姿で、まことに済みません。私は隣の住人の、沢田啓介という者ですが、実は、鍵を部屋に置いたまま出てしまったのです。オートロックですから、開けられないのです。財布も部屋に置いたままなのです。誠に厚かましいのですが、10円玉を3枚貸して貰えませんか。大家さんに電話したいのです」

「あら、大変ですわね。おかわいそうに。ここは、ドアだけは立派ですからね。私もよくやるのです。いいですわよ。三枚ですね。それから、お金は差し上げますので、返して戴かなくても良いですよ。どうしても、と仰るなら、ここの、ドアーの下の新聞受けに入れて置いてくださいな」

 

 

 

そう言って、親切にも、快くお金を貸してくれた。嫌みな感じは全くなく、全くの同情心から貸して呉れたのだ。そのお金を沢田は、有り難く受け取る。そして、彼女のドアがバタンと閉まる。

「どうもありがとう御座います。どうも」

閉まるドアに向かっても、何回も頭を下げて、沢田は礼を言う。

ドアが閉まってしまうと、また『いのちの電話』の茶色に変色した紙が目に入る。

 

 

 

『いのちの電話』というのは、今でも活動しており、自分自身が緊急の時に、そこに電話をすると、話をじっくりと聞いてくれたり、アドバイスをしてくれるという、ボランティア活動である。ここに電話をして、自殺や自傷行為を思い止どまり、また精神の平衡感覚を取り戻す人も多いと聞く。彼女が、自分のために『いのちの電話』の紙をドアに張り付けていたのか、或いは、ここの寮の住人向けに張り出しているのかは不明だが、それは、目立つ張り紙だった。長年張られていたためか、薄汚れて、紙の端も切れて黄ばんでおり、古さを感じさせる。

 

 

 

もしかして、ここが会社の女工達の寮だった時代から、前の住人が張ったままなのかも知れない。等と考えながら、沢田は、貸して貰った貴重な10円玉3枚を握りしめて、4階と3階の階段の踊り場に設置してあった筈の公衆電話を思い出す。階段の側には、男用と女用の共同トイレと洗濯場兼洗面所がある。薄暗く青白い蛍光灯が、誰もいないトイレを不気味にボーッと照らしている。臭いのキツイ、トイレの消臭剤や洗濯機の洗剤の臭いが一緒になり、独特の臭気がその辺りには漂っている。階段を下って、薄暗い40Wの裸電球が壁に付けてある踊り場に着くと、矢張り、赤い公衆電話がある。幸い、公衆電話には大家への電話番号が紙に書かれて貼り付けて表示してあった。これも、前々から貼られていたように、黄ばんで汚れた紙になっているが、辛うじて数字は読める。分からなければ、104で聞こうと思っていた沢田は、大助かりで一安心する。

 

 

 

「もしもし、星野染工の大家さんのお宅ですね。私は、寮の住人の沢田です。夜分に電話して済みませんが。誠に、お恥ずかしいことで、部屋に鍵を置いたままで、オートロックされてしまいましたので、合い鍵で開けて貰えませんでしようか。宜しくお願いします」

「ああ、星野ですが、それは大変ですね。今から、スグ行きますから、チョット待って下さいね」

親切な対応で、ほんの23分して大家の星野孝治が、合い鍵を持って駆け付けてくれた。星野染工は、木村が勤めている東洋電機の会社にも3階の倉庫を貸している。つまり、沢田が、お世話になっているお客様の会社の社員さんだから、対応が早い訳だ。そして、合い鍵で、手際よく沢田の部屋を開けてくれる。

 

 

 

「沢田さん、合い鍵を、鍵屋でもう一つ作って頂いてもいいですよ。それから、沢田さん。お知り合いの方で、ここに入って頂ける方がおられませんかねえ。ご存じのように、まだ3室しか埋まっていないのですわ。もしおられましたら、是非に、ご紹介して欲しいのですがねえ」

「承知しました。心掛けておきます。大家さんには、夜分にご足労お掛けしまして、誠に済みませんでした。ありがとう御座います。これで安心ですわ。どうも済みませんでした」

といって、木村は大家に礼を言って、大家が階段を下りるまでをドアの前で見送る。そして、やっと部屋に入ることが出来た。

 

 

 

部屋に入った沢田は、どうも、いつもと違う気配を、何か感じる。神経が割に過敏な沢田は、嗅覚とか、直感とか、気配に敏感だった。こういう神経の細さが、沢田の命運を決めていたということも言える。何か、聞かれているような、見られているような、気配がする。隣の竹内良子が、どこからか覗いているのかと、ベニヤで作られた間仕切り壁を注視する。その壁はかなり汚れており、押しピンを刺したような跡、セロテープが張ってあった小さな四角の茶色く変色した跡、コーヒかお茶をぶっかけたかのようなシミが至る所に付いている。見つけられないが、確かに何処かに向こうと此方を繋ぐ小さな穴があるように思える。沢田は、足音を立てぬように部屋の中をウロウロとして、懸命に探すが、見つからない。忍び足で探している姿は、何か異様にさえ見える。何処かに、キリで開けたような、小さな穴がある筈だ。直感だが、沢田は確信していた。これを絶対に探してやると思いながらも、疲れ果てて、探すのをとうとう諦める。そして、いつものように精神安定剤を3粒飲んで寝床に入る。

『仕方がない、今日の処は諦めてもう寝よう』

ようやく薬が効いて、沢田は深い眠りに入る。

 

 

 

 

 

 

 

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