(5)ボストンのスカイバア
ボストンはバスタンと発音、身をもって体験。1975年12月の暮れに、ナイアガラ瀑布を見た、カナダのバッファロー経由で、着地する。イギリスの新教徒達が、ニューフロンティア精神に燃え、最初に入植した街がここだ。所謂、アメリカ合衆国の京都に喩えられている。従って、街の中心部には、高層ビルがない。アイビーを羽織った、レンガ造りのしっとり落ち着いた建物が多い。
ボストンの警察官はパトカーでなく、騎馬に乗って町中を闊歩する。この方が、速く小回りが利き、人に威圧感を与えて、警護し易いという。機械文明だけが、全てではないという証左だ。一部の道路には、まだ石畳が残っている。
ホールが、天使達の絵で飾られた、大きなドーム天井になっている、由緒あるホテルに宿泊。当時を偲ばせるように、時間もゆったりとして、空気も凪いでいる。しかし、底冷えがキツク寒い。
東洋美術、中でも書画・陶磁器・仏像等の日本美術の収集で、その筋に有名な、ボストン美術館を堪能しての帰り。ワーフの昼食屋で巨大ロブスターを一匹なりに喰ったので、腹は満杯。味は、今ひとつ。アメリカ人の味覚はどうかしている。全部が大雑把だ。しかし、連中の集中力と行動力はダイナミック。そのエネルギー源は何か。バッファローの大きくて分厚い肉なのか。味無しで、よく喰えると不思議に思う。今日は3日目、明後日は新年。雪が少しチラついてきた。非常に寒い。ホテルで過ごすか、決め兼ねる。折しも通りの向かいから、ディスコ・サウンドが響いて、来い、来いと誘っている。
近づくと、音は、どこか上の方から聞こえる。四角いコンクリートの倉庫の様な、建物からだ。入り口を探す。車用の昇りのスロープが目に入る。ディスコ音楽は、そこから反響して聞こえてくる。結局、それは、4階にあった。まさしく、建物の最上階、スカイ・バアだ。クネクネしたネオンの赤いサイン文字も “ Sky Bar ” と真っ赤なドアの上に掛かっている。ドアの向うから、ガンガン、音が人を呼ぶ。そこはディスコでなく、ストリップショー&パブだったのだ。今更、引き返せない。ドァを開けると、ワォアーンと騒音がリズミカルに吐き出される。
ドーナツ状の楕円形をしたカウンター・
テーブルが、手前と奥とに二列。カウンターの中にはノーブラでミニスカートの若いギャルが2人ずつ、オーダーを聞いて水割りを作る。ドーナツ・カウンターからは、登り棒がそれぞれ3本ずつ立っている。中年と年配の米人がたむろし、ムッとするタバコの煙。ディスコ・ソングがガンガンと腹に響く。突然に、幾つもの口笛が鳴り、皆が拍手を始める。ショーの始まりだ。少し高いが1グラス2ドル払い、水割りを注文。一気に飲み干し「ワンモア」。異国人の私を、誰もが、仲間と同じ様に扱う。おい若造ジャップと、肩も叩いてくる。
プレイポーイ誌に出てくる様な、若い娘達だ。ピンク色の全裸で、ピチピチ肢体の大股を棒に擦りつけながら、立ったり座ったり。ツンと上を向いたオッパイが揺れる。ディスコ・リズムに合わせて、腰をクネクネ。立った時は、スラリと延びた形のいい足を思いっきり上に蹴り上げ、チラチラ見せる。座った時の方が、扇情的。テーブルに置いたグラスのすぐ脇で、締まった足首の、大きな白いお尻をフリフリして、棒の廻りを一周。水割りがガンガンと進む。1人だけ28、9歳の年配がいるが、リーダーか。彼女だけは、若いギャルに負けじと、全裸に黒ガードル黒ストッキングだ。チラチラ見せながら腰を振って大股を棒に絡ませる。まるで、SMの世界ではないか。一段と、ディスコ・サウンドのボリュームがガンガンに上がる。サウンドと、猛烈なタバコの煙にも酔う。
私の隣にいた、鼻先の赤い、顎に白髭の年配ヤンキーが “ Which do you have it ? Young man Jap. ” 「どの娘がいい、ジャップの兄さんよお」とガラガラ声で聞くので、思わず「ブラック・ガードル」と答える。男は、俺に任せなと、冗談で胸を叩いて高笑い。その後どうなったかは、賢明な諸君の想像の通りだ。かくして、ボストンの夜が明け、年が改まる明日は、いよいよ憧れのニューヨークに入る。
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