(7)退職の真の理由
入社4年目、昭和46年2月の、しぐれ雪の降る寒い或る日、武田さんが、キッと私の顔を見て誘う。
「オイ、田中君。お茶飲みにいこうか」
断る理由もないので、ハイと同行した。こんなとき、普段は一階のショールームの向い側にある レストラン霞が関にするのだが、今日は場所が違う。特許庁の裏にある、小さなアシベという喫茶店に連れて行かれた。こんな場所は私も知らない処だ。陰気な、我々しか客の居ない、この小さな喫茶店で、ドロッとした甘ったるいコーヒーを飲んでから、彼は落ち着き払って、静かな声でこう切り出した。
「オイッ。田中君、どこまで分かっているのだい」
一切を理解した私は、狼狽し、恐怖心と共に、知らぬ存ぜぬを通そうと覚悟した。
「なんのことですか」
彼は私の質問には答えず、一方的に話し始めたではないか。
「僕はね、薬品にも強いんだぜ」
「先日ね、二俣川の君の家の前に、バイクで行ってきたよ」
「新婚ホヤホヤの、奥さんの顔も見てきたぜ」
「綺麗な、可愛い奥さんだねえ」
「田中君、奥さんを大事にしろよ」
「それからさあ、余計なことを、一切喋るなよな。どこまでも付いて行って、一生涯付け回わして君を見張っているからな」
暗に脅迫してきたではないか。
知り過ぎた私への警告を出された以上は、もうここには居られない。もしかして、自分も殺されるかも知れない。気の弱い私は恐怖心にかられ、東洋電機の退職を決心した。妻にも内緒で、次の職場を探しはじめ、ロミー商会に転職合格との通知を確認してから、その3月末に、早々と退職した。東洋電機での在籍期間は、丁度4年間であった。
以下、シリーズ掲載中の本文の 「あとがき」 に続きます。続けてお読み下さい。3億円・シリーズは、この「あとがき」で完結です。次は、新しいシリーズの「西方見聞録」が始まります。、次週の、水曜日(10/8)を、乞うご期待。
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