(3)国分寺の土地勘
事件は、国分寺の東芝府中工場の東側にある府中刑務所に面したスグ横の通りで起こる。ここが第一現場。黒いフードカバーで覆い隠した、エンジンを掛けたままの偽装白バイが置いてあった三角地が第二現場。強奪したジュラルミン・ケース三台から賞与袋を抜き出し、積み替え、現金輸送車を乗り捨て、そして逃走する為にエンジンを掛けたままの濃緑カローラが置かれていた、国分寺跡の空き地が第三現場、もう一度逃走用の車を乗り換えたとされる本町団地の第四現場。巧妙に仕組まれ、計画された配置である。
尚、これらに登場するバイクと車二台は、この付近一帯にある晴見町団地や本町団地の駐車場から時間をかけて盗まれたものだ。団地族の他人に干渉しない生活観を、よく知っていた者の仕業といえる。そして、この第四現場で、二台目の最後の逃走車に乗り換えた犯人は、人知れずに迷宮の闇へと逃走したのである。
これらの現場は、府中刑務所を中心とした、国分寺周辺の、この付近の土地勘がなければ、絶対に選定できない場所なり逃走ルートであると、平塚八平衛も説明している。あろうことか、武田さんはこの国分寺に住んでいたのだ。また、バイクに乗って競馬場に行き、負けたときは憂さ晴らしに、色んな道を通って帰るのが常だった。これも、私が彼から聞いて知っていた彼の行動様式だ。付近の地理は、自分の庭のように詳しく彼の脳髄に入っていたに違いない。従って、彼には容易に、強奪と2段階逃走のルート図が描ける土地勘があったのだ。
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